ああまた1人戦争を体験した人が亡くなったか【訃報】小野田寛郎さん死去…終戦知らず比ルバング島で30年過ごす

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402: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 08:55:22.83 ID:2ssunRZX

【訃報】小野田寛郎さん死去…終戦知らず比ルバング島で30年過ごす
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1389913532/

合掌。
中野学校出身者説があった大正14歳のモボは
楽しく御隠居てきてるんですかね…


417: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 09:26:37.87 ID:piDrHgjj

>>402
なくなったじちゃんが昔々に
小野田さん帰国のテレビ映像を見て
テレビの前で泣きながら敬礼してたのを思い出した。

合掌。


421: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 09:31:51.22 ID:iH3plGAP


>>402
ああまた1人戦争を体験した人が亡くなったか
もっと早く死んで欲しい人はいっぱいいるのに
南無南無


465: Venom ◆vr7wMBGNJ2 2014/01/17(金) 11:04:40.71 ID:XfKkaAIe

>>402
うちの親父は大正13年生まれだったけど、4年前に死んだ。戦前を
記憶してる人がどんどんいなくなる、そういう時代の節目なのかねえ。

小野田さんの言葉で印象に残ってるのは、
「親と意見が合わなくてよく喧嘩した。どちらも意地っ張りだから譲らない。
こうなったら日常生活に必要な時間や労力まで喧嘩に費やしてしまうから、
距離を置いた方が良い。そこで家を出て、大都市や大陸へ働きに
行った。無駄なエネルギー使うよりその方が生産的。

ルバング島から帰って来てからも、マスコミの取材に良く腹を立てた。
無作法なTVレポーターを頃してやろうと思った。こっちはもう一度
死んだ身だから、何も怖くない。
ただそれじゃ空しいから、距離を置くためブラジルに行った。」


我が国も、無作法な隣国とは距離を置くべきですね_


467: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 11:06:58.09 ID:V1azo8hl

小野田少佐 お疲れ様でしたご冥福をお祈りいたします


468: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 11:10:10.87 ID:kpBDq8Wo

>>467
少尉じゃなかった?


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474: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 11:24:37.48 ID:V1azo8hl

>>468
すいません 
小野田少尉 お疲れ様でした ご冥福をお祈りします

靖国神社に初詣に行ったときに、自然キャンプ今年もやるってポスターが貼ってあったから
お元気だよかったと思ってたのに


475: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 11:25:33.64 ID:HK/PE113

高齢の方は元気に見えても夏冬にちょっとしたことで調子崩してそのままがあるからなぁ


476: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 11:28:32.34 ID:/4joVhkk

>>465
>戦前を記憶してる人がどんどんいなくなる

正月にうちの父も言っておりました。
それで焦るんだか知らんけど凄い勢いで戦中戦後の話をされるんですが
ウリ子どもが居ないんで伝える先がありません


479: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 11:39:15.23 ID:smMNyR6X

山本夏彦さんだったかが「戦前を肌で知らない世代ほど戦前を暗黒に塗りつぶしたがっている」
つってたのお・・・

ウリはタイムマシンで好きな時代を見物させてくれるとしたら
大正時代を見てみたいですが


482: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 11:45:03.56 ID:dK7Wh8ef

>>479
同感ですねえ


483: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 11:46:02.91 ID:uoOUEeAF

>>476
つ【軍板】
あるいはお父様にPCを教えて
つ【60歳以上板】


485: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 11:48:15.03 ID:HK/PE113

タイムマシンあったら第一次世界大戦から第二次世界大戦までの間のベルリンでオケというオケを聴きまくりたいな


489: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 11:51:33.73 ID:KvSArEiX

>>485

ベルがリンと鳴るんですな?


494: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 11:56:37.53 ID:baTqVvFM

>>468
きれいな敬礼だよね。
2枚目の写真が誰かに似てるような気がするんだが、思い出せない…
戦場カメラマンの人かなぁ、青大将の若いころかなぁ、でもなんかチョト違う気もする。


515: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 12:12:33.42 ID:0pMFig1j

>>468
さすがに敬礼がさまになってるなあ。
日本の青少年育成にもいろいろ尽力してくれたんだね。ご冥福を。


527: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 12:41:04.66 ID:w5e/T8UR

小野田さんエピソードWikipediaより

本当に命を賭けなければいけないと必死になった瞬間、頭が数倍の大きさに膨らむ感覚と同時に
悪寒に襲われ身震いし、直後、頭が元の大きさに戻ったと感じると、
あたりが急に明るく鮮明に見えるようになったという。
「夕闇が迫っているのに、まるで昼間のような明るさになりました。
そして、遠くに見える木の葉の表面に浮かぶ1つ1つの脈まではっきり認識することができました。
そうなると、はるか先にいる敵兵の動きも手に取るように分かります。
それこそ、相手が射撃をする直前にサッと身をかわして銃弾を避けることさえできると思いました」 。
命を賭ける場面が、命を賭けなくても大丈夫だという自信に変わった瞬間だったという
また『月刊秘伝』2004年7月号でのインタビューでは「直進する物は物理的に見えるんですよ。(中略)
真っ直ぐ自分のほうに伸びてくるんだから見えます。(中略)撃たれたときは、火を噴いている銃口から見えた。
(中略)相手の突きを避けられるのだから避けられますよ。」と語っている。
自身の著書である『小野田寛郎―わがルバン島の30年戦争』でも、
銃弾は飛んでくるとき蒼白い閃光を放つから、それを避ければいいと語っている。


537: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 13:00:59.34 ID:/4joVhkk

>>479
祖母が明治生まれで、女子師範学校に通ってたはいからさんなので
いろいろ話は聞いていますが、ほがらかで素敵な時代だったようです<大正、昭和初期
聞く限りではグングツガーな感じではないですね

>>483
ありがとう
父は78なのでPCは無理かもなあ……


545: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 13:06:09.02 ID:XL3ejo3l

>>479
戦争に言ってない世代や連中ほど平和だ侵略だ、言ってイデオロギー的に戦争を語りたがるよね
逆に実際に戦地に行った人はすごく冷静


546: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 13:06:19.35 ID:qEXitSEO

>>537
一日中暇しているご老体の方が慣れれば化けるんですぜ


547: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 13:09:30.70 ID:w5e/T8UR

103歳の祖母に聞いた話
「真珠湾攻撃した時はモヤモヤしていたものがスッキリした
周りの人もそうだった」

って言ってましたわな
その発言には驚きましたな
当時の雰囲気の一部を知るいい材料だと思いますな


548: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 13:09:56.41 ID:XL3ejo3l

>>476
サイトやブログに載せてもいいし
日記に書いてもいいし、wordに書いて印刷してもいいし
貴重な体験談だから残しておいたほうがいいと思うよ


550: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 13:10:04.97 ID:0oiZXkXa

デジタルデバイスへの適応力は年齢より好奇心が残ってるかどうかですな


551: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 13:11:05.99 ID:V1azo8hl

>>537
爺ちゃん75歳でニコ生で将棋とか碁みてるよ。あと、将棋はネット対戦やってる
PCにポストイットでワロス=笑いって貼ってあった時には腹筋よじれた


552: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 13:11:28.04 ID:tr05HjBc

>>537
実際の昭和初期とかそれこそエログロナンセンスの時代ですし。
調べてるとへたすりゃ、戦前も日本はやっぱり日本だったとかみたいなものが出てくるし。


560: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 13:23:36.55 ID:/4joVhkk

>>548
犬HKのファミリーヒストリー?の取材受けたがってしょうがないので
とりあえずタブレット辺りから訓練してみます


564: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 13:25:52.02 ID:LXXWxobp

>>547
何日か前の日経に、16年12月8日の一報を聞いた著名人の日記の一節が多々紹介されてた。
太宰治なんかでもああいう感覚だったのかと、当時の面白くないという感情がよく分かったわw


588: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 13:53:04.26 ID:baTqVvFM

親族で戦場経験してるのは親父の長姉の旦那だけだな。
親父の長兄も軍には入ったけど戦場にはいかなかったみたいだし…
ガキの頃に飛行機と一緒に写ってる写真だけは見たことあるが、祖父が死んだ後
遺産相続云々で行き来がなくなっちゃったんで詳しい話は分からない。

で、大正生まれのこのおじさん、なんでうちと縁続きになったのかわからないけど
新潟は長岡出身で、当時の有名な関取と同じ部隊だったって話は何回か聞いたことがある。
もう親戚が集まることもなくなっちゃったんで詳しい話を聞ける機会はないのかなぁ…


592: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 14:07:44.40 ID:LXXWxobp

>>588
もう死んだ母方の祖父は陸軍歩兵で伍長だったそうな。
たぶん、伍長で除隊したんだろうけど、関東軍にいたそうで満州に駐屯していたそうな。
東京出身で洒落もの(やくざだったのかのう)だったらしく、ソースが好きな祖父は、
自分が飯作るときにソースで魚を煮てこっぴどく怒られたって話を聞いたなぁ。

本人は美味かったといっていたがw このくらいの話しか聞いたことないな


596: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 14:17:17.13 ID:NiV2rJgS

小野田さん、心よりご冥福お祈りします

死んだ親父が、横井さんグアムで発見時のニュースで興奮してたのを思い出す


613: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 15:12:07.18 ID:OyUgl8Hz

>>547
うちの母(開戦当時16才)だと、
「ついにやっちゃったかぁ。
 どうしようもなかったかも知れないけど、エラいことになったなぁorz」
という感じだったそうで。

結構、人によって差があるみたいな。


673: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 16:39:48.36 ID:uo8MgrVg

>>661
うちの地元に終戦時尉官→一般社会に戻って暫くいろいろ
→医学部入りなおし→助教授になって色々立ち上げ作業→定年後も大御所ポジ
な人がいて今90過ぎくらいですが、元々文書くの好きな人なんで結構あちこちで書いてくれてます
文体がユニークな人なんで悲壮感ゼロっぽく見えるんですが結構壮絶だったらしくて

それと今90代くらいの親の恩師の元教員の爺様、やっと今頃になって
かつての教え子達に体験を語ろうとしてくれてますな
北海道だったかで終戦後ソ連軍が攻めてきてほうほうのていで逃げる時、
上官が次世代の教育が大事だからっていうので、その爺様を始めとする教員資格持ちとか
教員養成過程の学生だったりの若手兵士から優先的に逃がしてくれたそうです


681: 日出づる処の名無し 2014/01/17(金) 16:43:54.94 ID:1LHxrUCa

父方の爺ちゃんのの弟二人が特攻で戦死してるから、戦争に関しては話さなかったな
母方の爺ちゃんは衛生兵だったけど戦争の話はしなかったが、赴任先の話はしてくれた。



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[ 2014/01/18 00:32 ] 昔の日本 | TB(0) | CM(18)

107500 :べる:2014/01/18(土) 03:35:13 ID:-

今日、わたしが仕事でお世話になった方も亡くなった。
57だとさ。
急激に冷え込む日は訃報が多くなりますね。

ご冥福をお祈りいたします。
[ 2014/01/18 03:35 ] /-[ 編集 ]
107501 :べる:2014/01/18(土) 03:36:34 ID:-

しかし、直立不動で綺麗な敬礼だな。
[ 2014/01/18 03:36 ] /-[ 編集 ]
107505 :名無しさん@2ch:2014/01/18(土) 03:54:51 ID:-

考えてみれば、究極の単身赴任&グローバル世代なんだよなぁ。
やり取りするのが命だから、短期留学なんかとは濃さも違うだろうし。なにより国家を背負ってた。

最近のグローバル(笑)な人々は、"なぜか"嫌悪する世代でもあるけど。

ともかく、お疲れ様でした。(冥土は辛気臭いので)ご浄福をお祈り申し上げます。
[ 2014/01/18 03:54 ] /-[ 編集 ]
107517 :名無しさん@2ch:2014/01/18(土) 06:56:13 ID:-

よそのまとめで見た話しでは、少尉はマスゴミの誹謗中傷に遭って(他にも要因はあるが)ブラジルに渡ったんだとか。
マスゴミって昔っから糞だったんだな。

107505様に倣い、小野田寛郎少尉の御浄福を心より祈り申し上げます。合掌
[ 2014/01/18 06:56 ] /-[ 編集 ]
107524 :名無しさん:2014/01/18(土) 09:15:40 ID:-

>103歳の祖母に聞いた話
>「真珠湾攻撃した時はモヤモヤしていたものがスッキリした
>周りの人もそうだった」
半藤一利の対談集か何かで読みましたねえ
鬱憤が晴れて、爽快な気分になったと多々記録にあると
これについての感想は、後付で、何とでもいくらでも言えますが

「天皇の戦争責任」と安直に言う奴にこれを言うと面白いぐらいに沈黙します
特に昭和帝が戦後「戦争を何としても止めたかったが、止めれば私は殺されていた」旨仰った話に誘導して、さんざんわめかせた後だとさらに効果的

歴史というものの欠点は、結果を誰もが知っているということです
結果を知っているから、なぜとは疑問に思わない
行間を歴史家が勝手に埋め、合理的と判断すればそのまま事実と思ってしまう
生存している人間がまだいる過去でさえ、これですからね
[ 2014/01/18 09:15 ] /-[ 編集 ]
107527 :名無しさん@2ch:2014/01/18(土) 09:32:07 ID:-

「頭が数倍の大きさに膨らむ感覚」

これが不可知のグルジェフが説いた「高次思考センター」「高次感情センター」の能力か?!


現実認識能力が数百倍、数千倍にアップすると
視力や解析力がアップし、銃弾の軌道も識別できるんですねっ!
[ 2014/01/18 09:32 ] /-[ 編集 ]
107528 :名無しさん@2ch:2014/01/18(土) 10:05:25 ID:-

少尉や舩坂軍曹はニュータイプだったのさ。
ニュータイプは昔からいたんだな。
[ 2014/01/18 10:05 ] /-[ 編集 ]
107530 :名無しの怖い話:2014/01/18(土) 10:43:51 ID:-

うちの父親は、子供時代に青森空襲受けて布団かぶって田んぼだか畑でうずくまってたらしい。母親は終戦時で2才未満で記憶なし、ただ戦後でも田舎で親戚が農家なんで食料に困った記憶はないそうな。おいしいもんばっかり食ったと言ってましたな。
[ 2014/01/18 10:43 ] /-[ 編集 ]
107533 :名無しさん@2ch:2014/01/18(土) 12:37:07 ID:-

祖父は陸軍大尉で大陸に赴任しましたが、その時のことは一切話さずに亡くなりました。
(語り部になる方もおられますが、完全に沈黙したまま亡くなる方が多かった記憶)
子供心に「気軽に人に話せないようなことなんだろう」と思っていました。

当時、日教組バリバリの教師が「おじいさんおばあさんに戦争のことを聞いてくるように」と
宿題を出されたことがあり、バカ正直に祖父に聞いたら、
「そういうことは、大きくなっていろんな話を聞いてから自分で判断しなさい」
と絶対に教えてくれませんでした。

戦前の教育は本当に正しかったと思います。
[ 2014/01/18 12:37 ] /-[ 編集 ]
107534 :名無しさん@2ch:2014/01/18(土) 12:44:01 ID:-

小野田少尉は貴重な体験談を遺してくれてるからね、慰安婦とやらの嘘もしっかり体験談として。
この方の訃報、結構大きい話なんだけどAKBとかどうでもいいものより扱いが小さいのがマスゴミのマスゴミたるところか…。
[ 2014/01/18 12:44 ] /-[ 編集 ]
107539 :名無しさん@2ch:2014/01/18(土) 13:15:17 ID:-

こうして時代は移り変わっていってしまうんだなぁ、としみじみ感じる。
氏の署名入りの本と靖国で遠巻きに眺めたのは良い思い出。

小野田寛郎少尉の御霊の平安を心よりお祈り致します。
[ 2014/01/18 13:15 ] /-[ 編集 ]
107547 :名無しさん@2ch:2014/01/18(土) 15:16:14 ID:-

お母さんが小野田少尉が帰ってきたときのニュースを見た感想が
「ずっと隠れてたのに持ってた軍刀はとても綺麗だった」でした
[ 2014/01/18 15:16 ] /-[ 編集 ]
107549 :ありがとうございました!!!(`Д´)ゝ:2014/01/18(土) 15:55:58 ID:-
もっと生きて御言葉を頂きたかった…(T^T)

こちらを発たれた事は、とても残念ですけど、日本国&日本国民に対する貢献密度でいうと、この方は物凄いですよね。
ウリの死んだ爺ちゃんは、霞ヶ浦で飛行機乗りになる人達(いずれ零戦のパイロットになる人達)の訓練をしていたそうです。もっと聞いときゃよかったと思うけど、ウリ、自分達が騙されていたと気が付いたのは四年前なので…
[ 2014/01/18 15:55 ] /-[ 編集 ]
107550 :名無しさん@2ch:2014/01/18(土) 17:37:35 ID:-

七十年前の体験を事細かに、セリフまで全部覚えていて、人に語るのは、俺には無理だ。
[ 2014/01/18 17:37 ] /-[ 編集 ]
107563 :名無しさん@2ch:2014/01/18(土) 22:59:34 ID:-

ネタで書いてるんだろうけど、小野田さんの体験はアドレナリンの作用
自分も事故って飛んだときは、その間がものすごいスローモーションに感じられた
ほんの一瞬なのに、数分に感じたよ
ぶつかる前から、「あぁこれはだめだ」と冷静に感じてた
[ 2014/01/18 22:59 ] /-[ 編集 ]
107571 :名無しさん@2ch:2014/01/19(日) 00:59:51 ID:-

片方の祖父は結核で徴兵落ちしてひき籠っていたからか、軍も戦争も悪く悪く言いました。
片方の祖父は引揚者で、自分が納得するためのように、静かに細かい当時の国同士の状況を語りました。
その兄は日本と満州を行き来して、小ずるい類の怪しい商いをしていたとかで、
晩年すかんぴんになって、でも相当なお洒落で、おどけた戦争観を酔うと語りました。
祖母たちは肩をすくめて、子供たちを食べさせるのに忙しかったよ、
新聞だって偉いひとだってその時どきで調子のいいこと言うにきまってる、と同じようなことを。
でも戦前の話は、みな明るかったですよ、四季折々のお宝話がざくざく。
暗黒の世間や国なら、だれが命がけで護ろうなんてするものですか。
[ 2014/01/19 00:59 ] /-[ 編集 ]
107599 :名無しさん@2ch:2014/01/19(日) 12:07:28 ID:-

>ネタで書いてるんだろうけど、小野田さんの体験はアドレナリンの作用
>自分も事故って飛んだときは、その間がものすごいスローモーションに感じられた
問題は、見える感じられるではなく、そのスローモーションの中で素早く動けるかどうか。
見える感じられるだけでは弾に当たってしまうだけのことよ。
「動ける」のと「感じられる」の間には大きな隔たりがあるのは間違いない。
[ 2014/01/19 12:07 ] /-[ 編集 ]
107606 :名無しさん@2ch:2014/01/19(日) 17:13:12 ID:-

ジャップの特に団塊な無脳集団が好きな「先延ばし棚上げして後世の知恵云々」って結局自分達が面倒な事をしたくないだけで、
結果はこういう資料的価値のある証言・証人・証拠の散逸、もしくはロストを招き
より問題の解決が面倒になるだけの無責任対応ってことだわな。
今起きてる問題は今解決しろってのよ。
[ 2014/01/19 17:13 ] /-[ 編集 ]

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